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エミリー・ブロンテ【嵐が丘】あらすじ完全解説と感想

エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は、サマセット・モームが「世界十大小説の一つ」と言っていますが、確かにあまりにも素晴らしかったので、あらすじや感想を書きます。

 

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エミリー・ブロンテ【嵐が丘】あらすじ

 

ヨークシャの荒野に立つ屋敷〈嵐が丘〉。その主人が連れ帰ったヒースクリフは、屋敷の娘キャサリンに恋をする。しかしキャサリンは隣家の息子と結婚、ヒースクリフは失意のなか失踪する。数年後、彼は莫大な財産を手に戻ってきた。自分を虐げた者への復讐の念に燃えて……。時を超えて読み継がれてきた壮大な愛憎劇。

 

エミリー・ブロンテ【嵐が丘】ストーリー

 

この物語は、そのほとんどの内容を、もともと「嵐が丘」の主人に仕えてきた元女中のネリーが語るという様式をとっています。

ロックウッドはスラッシュクロスという家を借りようと主人の住む「嵐が丘」を訪れる。その主人はヒースクリフ。ロックウッドは全く歓迎されなかった。

その夜、彼はその家で女性の亡霊を見る。

ロックウッドは、もともとその家に仕えていたというネリーに、その家にまつわることをすべて聞くことになる。

 

もともとヒースクリフは嵐が丘の人間ではなかった。

そこには、ヒンドリーと妹のキャサリン、そして両親が暮らしていた。
父はある日出張から一人のみすぼらしい少年を連れて帰った。彼はヒースクリフと名付けられ、父からは愛情を受けて育てられるが、ヒンドリーは彼を目の敵にする。

一方のキャサリンはヒースクリフとすぐに打ち解けて二人は仲睦まじくなる。

しかし幸せは続かなかった。父が病気で死ぬとヒースクリフを敵視しているヒンドリーが家の主人になり、生活は一変。ヒンドリーはヒースクリフを苛め抜いた。

ある日、キャサリンとヒースクリフはスラッシュクロス家を覗きに行く。そこには生活豊かなリントン家が暮らしており、キャシーたちと同年代の兄エドガーと妹のイザベラがいた。

しかしのぞき見しているところを見つかり、キャサリンは番犬によって大けがを負ってしまう。キャサリンはその日からしばらくの間、リントン家で療養することになったのだ。

 

数週間後、キャシーが戻った時には様子は一変していた。お転婆だったキャシーは既に立派な令嬢のようになっており、リントン家のエドガーと仲良くなっていたのだ。

相変わらず召使のようにいじめられるヒースクリフに、しかしキャシーはやはり愛情を変わらず注いでいた。

ある日、ヒースクリフがそこにいるとは知らずに、キャシーはエドガーから求婚され、それを受け入れた旨をネリーに話す。

ネリーがヒースクリフのことを問うとキャシーは、「彼のことは愛しているけども、彼との結婚はあり得ない。それは自分にとって不名誉な事だから。もしも自分がエドガーと結婚したらお金持ちになるし、そうしたら一生ヒースクリフと一緒にいられる」と伝える。

それを聞いていたヒースクリフは、その夜から姿を消した。

 

数年後、既にリントン家の妻となったキャシーの元へ、莫大な財産を携えてヒースクリフが戻ってくる。
しかも今は酒におぼれるヒンドリーから、賭博で嵐が丘を取り上げていた。

再会に大喜びするキャシーだったが、エドガーはあまり彼を歓迎していない。

しかしエドガーの妹、イザベラはヒースクリフを愛すようになってしまう。
キャシーのいたずらでイザベラの気持ちを知ったヒースクリフは、彼女の愛を受け入れて二人は駆け落ちしてしまう。

しかし当然のことながらヒースクリフが彼女を愛しているはずはなかった。彼は彼女の財産が目当て、それから彼らの生活の破壊こそが本当の目的だった。

結婚してすぐにヒースクリフはイザベラを虐待し始めたのだ。しかし、気づいた時には遅かった。イザベラは妊娠し、嵐が丘を出て一人で子供を産むことになった。

ヒースクリフはエドガーに内緒で時々キャサリンの元を訪れる。しかしそのことがエドガーに知られると、彼はキャシーにヒースクリフとの縁を切るように言う。その頃からキャシーは疲弊し病に倒れてしまう。

彼女はエドガーの子を妊娠していたが、出産の際に亡くなってしまった。
そのあとを追うようにして、兄のヒンドリーも死んだ。

 

さて、エドガーとキャシーの子供は母の名をとってキャサリンと名付けられ、父の手によって大切に育てられた。

一方、一人で息子リントンを育てていたイザベラだったが13年の月日は流れたのちに病に倒れた。

 

息子のリントンはスラッシュクロスに引き取られるはずだったが、ヒースクリフが彼を奪って嵐が丘に連れ帰ってしまう。

かくして、嵐が丘にはヒースクリフと、息子のリントン、甥っ子のエドガーが3人で暮らすことになった。ヒースクリフは実の息子にも徹底的に冷酷な態度をとる。

やがてそれから何年か過ぎたある日、嵐が丘の近くでキャシーとヒースクリフが鉢合わせてしまう。キャシーはヒースクリフの冷酷さを知らず、嵐が丘でリントンと再会する。

その後は父に事情を説明され、リントンと会うことを禁じられるが、キャシーとリントンはこっそりと手紙のやり取りをし、愛を深めてしまうのだ。

しかしもともと20までは生きられないと言われていたリントンは病気になり弱ってしまう。

 

実はヒースクリフはリントンとキャシーを結婚させてスラッシュクロスの財産をわが物にしようとしていたのだ。

ある日、キャシーが父に黙って嵐が丘に行ったおりにヒースクリフは彼女を監禁して息子との結婚を強要する。
父エドガーはこれもまた病に倒れており、事に寄れば死に目にもあえないかもしれない状況に追いやられ、キャシーはリントンと結婚を承諾する。

その後エドガーは亡くなり、間もなくリントンも亡くなった。
キャシーはその後嵐が丘で暮らすようになる。

 

エレンの話はそこで終わった。

ロックウッドはそののちにスラッシュクロスの家を離れて都会へ戻った。
ある日、まだ契約の切れていない「嵐が丘」に立ち寄った。そこでは今やキャサリンと仲良く暮らしていた。

エレンに話の続きを聞くと、ヒースクリフは死んだのだという。

ヒースクリフはキャサリンの墓の近くに埋葬された。そのそばにはエドガーの墓。
嵐が丘にはその3つの墓標が並んでいた。

 

エミリー・ブロンテ【嵐が丘】感想

 

とにかく圧倒的にすごかった。
すごかったとした言いようがありません。

最初は、あまりにのヒースクリフの冷酷さに本気でついていけなかったんですね。
特にリントンを奪っていじめ始めるあたりから、「一体この男は何してんの?バカなの??」と思って、かなりイライラしました。

その後、キャサリンを犯そうとしたり、弱っている息子に一ミリの愛情も注がずに財産のためだけにキャシーと結婚させたり、もう本当に悪の限りを尽くすあまりに、一体この人のどこに魅力を感じればいいのか?とほとほと嫌になりました。

しかし、そんなヒースクリフへの疑問が一掃されたのが、死ぬ前のシーン。

 

それは外出していたヒースクリフが戻ってくると、キャサリンとヘアトンが二人で楽しそうに勉強していたところを見るんです。

その時にヒースクリフが初めて漏らします。

「さえない結末じゃないか。しゃかりきになって奮闘した末に、こんなところに行きつくとはお笑いだな?」

そもそもですね、こんなに徹底的に世の中の幸せのすべてをぶち壊そうとしている理由というのが、ここまででは全く語られていないんですね。

なんというか、私の解釈では語られていないように思えました。どうしてここまでするのか??

そりゃあもちろん、ヒースクリフが自分の貧しさ等のせいでキャサリンとの仲を引き裂かれた恨みがあって全てを憎んでいるというのは筋としては分かるんだけど、要するに最後に口を開くまで、ネリーは全くヒースクリフの心の中を描いてなかったんですね。

だから彼があまりにも子供に対してまでも極悪なことをしているのに対して理解ができなかった。

しかし、最後にヒースクリフは初めて自分の心を語るんです。
彼がどうしてこれほどまでにすべてを憎んでいたのか。

それは、この世のすべてのものが、キャサリンを思い起こさせるからだというわけです。

 キャサリンを思い起こさせるもの全てに復讐をしようとしたのかもしれませんね。
その感情の深さと重さにまずは衝撃を受けました。

さらに、結局のところヒースクリフは発狂してしまうわけだけど、それはこれほどまでに全力ですべてをぶち壊そうとしてきたのに、結局娘のキャシーとヘアトンの愛ははぐくまれてしまった。どのような手を尽くしても、それはヒースクリフの負けを意味していたのだと思います。

 

この物語を単なる恋愛小説とか、単なる復讐劇とか思われては困る。

とにかくこの物語においては、「愛」とか「死」は私たちと全く別のベクトルで動いているような気がするんですね。

なんというか、人間の解釈の及ばない部分で蠢いているものという感じがします。
この小説を要約するのに、小説本体と別に参考としてWikipediaを読んでいたのですが、Wikipediaの解釈はあまりにも「愛」というものの形を平面的に捉えすぎていて、何もわかってないと思います。

まあ別にたかがWikipediaだからいいんだけど。

 

1992年の映画版「嵐が丘」を見たのですが、本当に駄作でした。

それこそ、凡人が一生懸命考えて「嵐が丘」を俗な解釈に収めた作品というところだと思います。

この物語が表現する人間離れした、呪いじみた狂気としての「愛」なんて全く描かれていません。見るだけ無駄です。

 

とにかくこの作品の最も重要な点は、どれだけ人の理性の奥の「愛の形」をほじくり返してくれるのかということです。
一般的な普通の人が想像もできないんです。ここで描かれる「愛」というのは。

キャサリンとヒースクリフは本当だったら愛し合っていたのに、身分が違ったために実らず、そのためにヒースクリフが周りのすべてに復讐する話とか思ってもらったら困ります。

確かにそんな風に見えるのかも知れないけど、そもそもがキャシーとヒースクリフが愛し合っていたのは、精神の愛よりももっと深くつかまれた「魂の愛」であって、それははっきり言ったら全く純愛でもないし、どちらかといえば狂気なんですよね。

要するに、キャシーとヒースクリフというのは「狂気」でつながれているといってもいい。

 

最も好きなシーンは、ヒースクリフがいると知らずに彼の愛を語るシーン。

「彼が私以上に私だからよ」というセリフが素晴らしくて身震いします。
彼らにとっては魂の片割れなんですね。

胸が熱くなる。泣きそう。

 

そもそもヒースクリフがキャシーと結婚したがったかどうかすらも私は分からないと思うな。そういうレベルではないんですね。

多分、ヒースクリフも片割れとしてキャシーと添え遂げると思っていた(望んでたわけではなく、そうなると思ってた)のに、運命のいたずらによって、実はそうならないことがあると分かってしまった。

復讐したのはその運命に対してなのではないかな。

 

この物語のすごいところは、それだけのキャラクターであるキャシーが半分のところで亡くなってしまうところです。しかも、あっさり。

それはもちろん、この作品がキャシーではなくヒースクリフの話だということもあるんだけど、もっと重要なのは、ヒースクリフにとっては(というか、この物語にとっては)、キャシーが生きていようが死んでいようがあまり変わりはないんですね。

彼にとって死は生の一部で、逆にいって生は死の一部なわけです。
生きているか死んでいるか、あまりそこは問題ではない。
生きていても死んでいても、二人の狂気でつながれた愛は生き続けているからです。

それがこの作品のとにかくすごいところだと思います。

 

おまけ:堀北真希主演舞台版「嵐が丘」について

 

実は私は「嵐が丘」を、堀北真希主演の舞台のテレビ放送で観ました。

堀北真希のキャシーはすごくよかったなー。

 

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今や旦那になったヒースクリフ役の山本耕史もまあいいんだけど、キャシーがよかったなあ。

舞台版自体がすごく面白くて、だからこそ原作を読んでみようという気になった。
そしてイザベラ役のソニンもよかった。

しかしながら、舞台版のほうはやはり役者の顔が出てしまうからか、キャシーが亡くなってからの印象が全くなくなったな。

 

さすがに小説版のようにはいかないのだな

 

エミリー・ブロンテ【嵐が丘】おススメ度

 

 

ほんとにおすすめです。とにかく。

この作品は「海外名作ベスト10」的なのにも残ったりしてるんですね。
しかし驚くことに、すっごい読みやすい作品です。

他のベスト10とかは、マルケスとか、ドストエフスキーとか、とにかく難解なものが多くて(好きだけど)、ちょっとハードルが高かったりしますがこの作品は読みやすいです。

私は言語版でも挑戦しようかなと思ってます。

 

ちなみに、モームの「世界の十大小説」についてはこの記事をご参照ください。

www.nitari-movies.com